糸満晴明病院からのお知らせ

断酒実践シリーズ「否認の塊」

断酒実践シリーズ

 第1回「否認の塊」

アルコール依存症から回復し、糸満晴明病院でピア・カウンセラーをしている善平康照さん。断酒継続26年目となった今、治療初期の頃を振り返ってもらいました。今月から5回連続で、様々なテーマのインタビュー記事を掲載します。皆様のお役に立てれば幸いです。

Q アルコール依存症と診断されたとき、どう感じましたか?

「あなたはアルコール依存症です」と医師から告げられたのは32歳の時。自宅で離脱けいれんを2回起こして、内科へ救急搬送された後に、家族に連れられて嫌々ながら精神科に行って、こう言われた。でも、それを聞いた時、正直救われた気持ちだった。飲んだくれて仕事も出来ず、家族に迷惑をかける、どうしよもないダメ人間だと自分をいつも責めていたから。それが、病気のせいで酒が止まらなかった、自分のだらしなさや意志の弱さじゃなく、酒が、病気が、自分を狂わせていたと分かって、すごく救われた。

でも、その直後に「今後は完全断酒が必要です」と医師に言われた時、今度は一転して奈落の底に落とされた気持ちになった。本当に文字通り、目の前が暗くなって「お先真っ暗」を体験した。酒をやめるなんて不可能だ!夢なら覚めてくれ!と感じたね。

Q いつ、自分がアルコール依存症と認められるようになったのですか?

アルコール依存症と診断されてから、断酒に踏み切るまでに約1年かかった。その1年の間に精神科病院に3回入院した。1回目と2回目の入院では「節酒論」で、何とか上手に飲めないかと、病気の隙間ばかり探していた。結局はアルコール依存症に抜け道なんてなくて、失敗するんだけど。

気持ちが変わったのは、3回目の入院のとき。観察室に3日間くらい入っていたんだけど、自由に行動できないし、時間だけはたっぷりあるもんだから、自分自身の心とじっくり向き合うことが出来た。自分の中に「酒をやめて健康になりたい」という健康な自分と、「まだまだ飲みたい」という病気の自分がいて、その二人がまるで会話をするかのように、3日間やり取りを続けていた。この経験の後から、自分の心の中で何かが動き出した。これまでの入院とは違って、授業に集中して3本柱を徹底的にやることにした。本当に徹底的にやったと思う。自助グループはフルに週5回参加したし、シアナマイドも先生に頼んで朝晩の2回飲んだ。通院もしっかりやった。これが33歳の時。それから今日まで26年間、断酒を続けることが出来ている。

 

※次回は12月に掲載予定です。

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